「嫌われる勇気」持っていますか? 僕にはありません
こんばんは、八本木です。
今日は久しぶりに仕事を頑張りました。
のめり込むタイプなので、集中できるときとできないときの差が激しいんです。
先週から昨日までは、お給料もらっていることが申し訳ないくらい仕事してませんでした。すみません。
取り掛かり始めると仕事って楽しいんですよね。
特に僕の部署は、いろんな会社の人とお仕事できるので、刺激を受けます。
社内調整も多いですが、上司や仲間が頼りにしてくれているなーというのが、態度やコミュニケーションの仕方でなんとなくわかったとき俄然やる気が出ます。
単純な性格なんでしょうね。
他人が自分を信用してくれていると思うと嬉しいですし、喜んでもらいたいと思う。
だからこそ今まで会社を辞めずにズルズルと残ってきたというのもあるんですが。。。w
いつだったか、少し前に流行った「嫌われる勇気」。
僕にはそれがないんです。
もちろん原著も読みました。
とても面白かったですし、アドラー心理学ためになるなぁって思いました。
影響受けやすいタイプなので、読んだばかりの頃は本の勧めに言われるままに行動してました。イケイケどんどんってやつです。
だけど、いつの間にかその勇気は失われているんです。
そして、失われたものは二度と戻らないんです。村上春樹ってやつです。
別に意識したわけではないんですよ?だけど会社という組織の中で生きていると、自分の我を通すことが、決して全体最適につながるわけではないことがわかるんです。
例えば部署間で利害が相反するときやタスクの優先度にズレが生じるとき。
それなりの規模の企業で働いてたら、きっと誰にでもある経験だと思います。
僕は数年前からいわゆる事業部(プロフィットセンター)にいましたから、
法務部が契約書をなかなか作ってくれなくて、いつもせっついてました。
管理部が商流を覚えてくれなくて、なんども資料を作ってました。
結局他の案件と天秤にかけられたとき、僕は全体のために自分を諦めます。
でもそれは内気な性格のせいではないんです。感情ではなく、きちんと理性で判断してるつもりです。その方が会社の利益につながるんだろう、と。
だって相手はそう思ってるから。
それを主張するに足る何かしらの理由・正当性があるわけです。
もちろん、僕には僕の理由があって、それをきちんと説明するのは僕の仕事です。
でも、他の人が仕事をしやすい環境をつくるのもまた僕の仕事なんです。
そして最後に客観的な判断ができるのは、一事業部ではなく、管理部門だと思ってました。今もそう信じたいです。
とまぁ横道にずれたんですが、とにかく僕はそんな綺麗事を言うばかりで、自分をひたすらに主張し続けるだけの胆力がなかった。悲しいことです、上司からすれば。
世の中には他人の利益を損じてまでも、いえ、他人に損害を与えてまでも自分の利を取る人間がいます。そんなこと子どもじゃないんですから、僕にもわかってます。
でも僕はそんな人間ではありません。なりたいとも思いません。
もちろんそれで自分の生活が脅かされるなら別ですが、きっと僕はギリギリまで全体最適を考えて、判断し行動するはずです。バカなんでしょうか。バカ正直なんだと思います。だからいい歳こいて、やりたいことも見えないんだと思います。本当に愚かなことです。
まただらだらと長くなっちゃいましたが、要はこの記事で何が言いたかったというと、人に誇れるとまではないえなくても、せめて恥じない選択肢を取り続けられるといいよね、ってことです。つまりstupidになるな、ってことです。終わり。
八本木