八本木悠木の末路

八本木といいます。会社員ですが、退職・転職を考えています。よろしくお願いします。

毒にも薬にもならない人間の存在価値、そして有機体たる会社について、或いはその関係性

こんばんは、八本木です。

 

今日のお昼に自分の存在価値について考えて、死にたくなりました。

 

自分の意見を最後まで押し通すこともなく、客観性を求め、最後の判断を他人に一任するだなんて、全く愚かなことだと思ったんです。

昨日時点ではそれを中庸だと思っていました。
バランスが取れているとも思っていました。

バランスの取れた記事を書いて、イイねをたくさんもらったブロガーさんの記事を読んだからかもしれません。

 

でもそれを良しとするのなら、僕がいる必要なんてないと今日気づいたんです。

毒にも薬にもならない人間なんて、果たして存在価値があるでしょうか?

ないと思いました。

そう考えると、今までの仕事の経験は何だったんだろう、僕の仕事の進め方は全く以って間違っていたのではないかと思い、それで死にたくなったんです。

 

バランスなんてものは、勝手に生まれるんです。

だってそうしないと傾いてしまうから。

組織はヒラ社員一人に脅かされることはありません。

だってそのための組織だから。

 

組織の中にいて、だけど僕は自分が歯車だなんて思いません。

 

だって、社会も会社も機械なんかではなく、有機体であることを知っていますから。

いずれも人がいて成り立って、全ての仕組みは人が動かしています。

 

人で動くけれど、人が一人抜けたぐらいではビクともしないもの。

それが会社で、だから株主はある程度の安心をもってお金を預けられるわけだけど。

 

なんだか悲しくて、絶望を覚えました。

会社と人とはどう接して行けばイイのでしょうか?

 

おんぶにだっこではダメだと思います。

いつまでも会社にしがみつくだけの人間ではありたくない。

利用するだけでいいんだよ、という人もいます。

でも単なる利用関係で割り切れるほど、僕は冷酷じゃない。

会社を愛したいし、自社の製品やサービスをいつまでも好きでありたい。

 

30過ぎた大人が一体何を言っているのでしょう。

文章を書いていると、どんどんどんどん暗い気持ちになっていくのですが、きっと誰もこんなものを読みたくないと思うので、今日はこのあたりで終わりにします。

 

こんな子供じみた考えでもなんとかやっていける

日本の現代社会に感謝したいと思います。

 

 

八本木

「嫌われる勇気」持っていますか? 僕にはありません

こんばんは、八本木です。

 

今日は久しぶりに仕事を頑張りました。

のめり込むタイプなので、集中できるときとできないときの差が激しいんです。

先週から昨日までは、お給料もらっていることが申し訳ないくらい仕事してませんでした。すみません。

 

取り掛かり始めると仕事って楽しいんですよね。

特に僕の部署は、いろんな会社の人とお仕事できるので、刺激を受けます。

社内調整も多いですが、上司や仲間が頼りにしてくれているなーというのが、態度やコミュニケーションの仕方でなんとなくわかったとき俄然やる気が出ます。

 

単純な性格なんでしょうね。

他人が自分を信用してくれていると思うと嬉しいですし、喜んでもらいたいと思う。

だからこそ今まで会社を辞めずにズルズルと残ってきたというのもあるんですが。。。w

 

いつだったか、少し前に流行った「嫌われる勇気」。

僕にはそれがないんです。

 

もちろん原著も読みました。

とても面白かったですし、アドラー心理学ためになるなぁって思いました。

影響受けやすいタイプなので、読んだばかりの頃は本の勧めに言われるままに行動してました。イケイケどんどんってやつです。

 

だけど、いつの間にかその勇気は失われているんです。

そして、失われたものは二度と戻らないんです。村上春樹ってやつです。

 

別に意識したわけではないんですよ?だけど会社という組織の中で生きていると、自分の我を通すことが、決して全体最適につながるわけではないことがわかるんです。

例えば部署間で利害が相反するときやタスクの優先度にズレが生じるとき。

それなりの規模の企業で働いてたら、きっと誰にでもある経験だと思います。

 

僕は数年前からいわゆる事業部(プロフィットセンター)にいましたから、

法務部が契約書をなかなか作ってくれなくて、いつもせっついてました。

管理部が商流を覚えてくれなくて、なんども資料を作ってました。

 

結局他の案件と天秤にかけられたとき、僕は全体のために自分を諦めます。

でもそれは内気な性格のせいではないんです。感情ではなく、きちんと理性で判断してるつもりです。その方が会社の利益につながるんだろう、と。

 

だって相手はそう思ってるから。

それを主張するに足る何かしらの理由・正当性があるわけです。

もちろん、僕には僕の理由があって、それをきちんと説明するのは僕の仕事です。

でも、他の人が仕事をしやすい環境をつくるのもまた僕の仕事なんです。

そして最後に客観的な判断ができるのは、一事業部ではなく、管理部門だと思ってました。今もそう信じたいです。

 

とまぁ横道にずれたんですが、とにかく僕はそんな綺麗事を言うばかりで、自分をひたすらに主張し続けるだけの胆力がなかった。悲しいことです、上司からすれば。

 

世の中には他人の利益を損じてまでも、いえ、他人に損害を与えてまでも自分の利を取る人間がいます。そんなこと子どもじゃないんですから、僕にもわかってます。

でも僕はそんな人間ではありません。なりたいとも思いません。

もちろんそれで自分の生活が脅かされるなら別ですが、きっと僕はギリギリまで全体最適を考えて、判断し行動するはずです。バカなんでしょうか。バカ正直なんだと思います。だからいい歳こいて、やりたいことも見えないんだと思います。本当に愚かなことです。

 

まただらだらと長くなっちゃいましたが、要はこの記事で何が言いたかったというと、人に誇れるとまではないえなくても、せめて恥じない選択肢を取り続けられるといいよね、ってことです。つまりstupidになるな、ってことです。終わり。

 

 

八本木

転職を考えたら、ふと学生時代の就職活動を思い出して書いてみました

こんばんは、八本木です。

 

今夜もまた会社を辞めることを考えていたら、ふと自分が就活していた頃を思い出しました。

 

もう十年近く前になるのでうろ覚えですが、どちらかというといわゆる意識高い系学生というやつだったと思います。口にこそ出さなかったものの、外資金融とか外資コンサルとかエントリーしてました。

 

もちろんまともな志望理由があるならいいんですが、給料良さそう、頭が良さそう、モテそう、成長できそう等々就活メディアに踊らされた脳味噌単細胞な理由しか浮かびませんでした。

 

うん、痛い。

 

いま思い返すとなんですが、お給料は友人に見劣りしなければ、、、ぐらいで案外どうでもよくて、一番の志望理由はオフィスの場所だったかもしれません。田舎者だったので、都心で働きたかったんです。それで、外資系なら転勤はないし、オフィスもいいとこにあるだろうと思ってた。

 

その発想は正しいかもしれませんが、志望理由の浅さがヤバイですね。

今も痛い大人ですが、当時も痛い学生でした。

 

それで結局なんですが、めんどくさがりの性格が災いしてWebエントリーしたはいいものの、エントリーシートを書いた数はそんなに多くなかったと思います。完璧主義な性格もあって、筆も遅かった。外銀なんて、金融知識がないことを自分で分かっていたので、結局一社もES出しませんでしたね。外コンは途中のグループディスカッションなんかで自分が受かるに足りる脳味噌を持ちあわせていない事実に気づかされました。

 

とまぁそんな浅はかななんちゃって意識高い系でもそこそこの学歴と量より質を取ったESのおかげで、書類はほとんど通ったと思います。最終面接で複数社から落とされたときは泣きそうになりましたが、なんとか志望企業の一社から内定をもらえ、無事に都心で働く夢が叶いました。しかもそこには外コン出身の中途入社の社員も大勢いました。有難いことです。

 

そうして夢と希望に溢れた僕は、20代を懸命に働いたわけです。特に最初の二、三年年はがむしゃらでした。まぁ具体的な将来設計はなかったんですが、優秀な仲間と働くうちに見つかるだろうと思ってました(志望希望に入社できたおかげで、その当時の夢・憧れは叶ってしまっていた僕は新たな夢を見つける必要がありました)

 

けれどそんな甘い考えのもと、20代はあっという間に過ぎていき、僕はいつの間にか出世競争において、同期の中でもずいぶんと後列にいました。きっといくつかのターニングポイントはあったのでしょうが、鈍感な僕はそれに気づくことなく20代のうたかたの日々を大切にすることができませんでした。

 

自分では頑張ってたつもりなんですが、きっと頑張りが足りなかったのでしょう。もしくは自分がただ優秀じゃなかったんだと思います。それは単に業務のアウトプットスキルだけでなく、社内政治など現実で活きるスキルも含めて。なにせ内気でひねくれている性格のせいで、周囲に媚びるということができませんでした。

 

でも後悔はしてません(少なくとも今日時点では)

三年五年と過ぎて、三十路が見えた頃から、職場で取り繕ろうことに疲れました。

無理をしても意味がないって思ったんです。

今は極力自分らしくありたいと考えてます。

 

とまぁそんな感じで20代が終わって、ヒラ社員のままに30代に突入してます。役職が変わらないから飽きたのかもしれません。フラットな会社組織のおかげで、上に立った時の景色が想像できてしてしまったというのもあります。会社に罪はなく、原因は新たなやりがいを見つけられない自分にあるので、文句は言えません。

 

出世が勝ち負けの基準になるのなら、それでも構いません。

負け組で大いに結構。

そう声を大にして言いたいですが、さすがに先に出世している同期にはとても恥ずかしくて言えませんねw

出世如何が人生を左右するだなんて、僕自身は露にも思っていませんが、そう考える人も少なからずいるでしょうし、そんな人からするとまさに負け組の遠吠えになってしまう。人は人、自分は自分と割り切れればよいのでしょうが、そんな器用なことができていたら今のような状況にはなっていないとも思います。

不器用なんです、自分。

 

なんだか昔を懐かしんでとりとめもなくズラズラと書いてしまったんですが、要は何が言いたいかっていうと、貴重な20代を大切にしたいねってことと、だけれど、自分らしさも失わずに後悔しない人生を歩みたいねってことです。学生時代のかつての自分と、いま転職を考えている現在の自分、そして転職後の未来の自分に言いたいです。

【初ブログ】人生悩んでます

はじめまして、八本木といいます。

いきなりなんですが、悩んでます。人生。

 

自分が何をしたいかがわかりません。

成し遂げたい夢も将来なりたい自分も見つかりません。

もういい歳の大人なのにです。

 

具体的にいうと、このまま働いていていいのかなぁって悩みです。

より現実に落とし込むと、直近でいえば職業です。

転職しようかなと思ってます。

 

今の仕事は楽だし、お給料も悪くないし、得られる経験値だって少なくない。

 

だけど……

飽きてしまったんです。何となく、けれどあらゆることに。

 

サラリーマン何年もやってると見えてくるんです、大体。

何らかのパターンっていうんですかね、そういうのがあるんです。

いわゆる予定調和ってやつです。

 

業務上のトラブルとか、

プロジェクト完了時のお祝い事とか、

社内政治で誰々が昇進したとか、

お祭りの最中=オフィスにいるときはそこそこ盛り上がれるんですよ?

 

けれど、家に帰るとどこか冷めている自分がいる。

昔からそうでした。

 

友だちと一日遊んだ日でも、お別れを言って家路に着いて1人になったとき、

泣いている自分がいたんです。

 

悲しみと何だかよくわからない不安、そして孤独感で押しつぶされそうでした。

痛い子でした。けれど決して特別なこともなく、クラスに数人はいるタイプの。

 

とまぁそんな悩める子羊だったわけですが、そいつがまた迷路に迷い込んだみたいです。

いろんなものを見たせいで、いろんなことが見えなくなってしまいました。

だからブログを書くことにしました。

理由になっていますかね?

 

周りの人に会社を辞めようと思っていると相談すると、

・今までのキャリアがもったいないとか、

・サラリーマンってのはそういうもんだから諦めろとか、

・何か他の趣味を見つけろとか、

・恋人でも尊敬できる人でもいいから出会いを見つけろとか、

等々お叱りや励ましの言葉を頂きます。

 

ありがとうございます。

そういう人が周りにいるだけでも有難いです。

言われたときは心に刺さるんです。ああ、自分も頑張らなくてはって思うんです。

 

でもそれもやっぱりお祭りごとと同じなんですよね。

1人家にいると、カランと響く空虚な音があって、それに心が負けてしまう。

きっと、解なきモノに答えを求めてしまう性分なんだと思います。

だから解がない事実を諦めきれない。

 

痛いですねw

自分でも馬鹿だな、と思います。

 

というわけで、いっそお前は馬鹿だと言ってくれる人がいたら楽だなぁと思い、この度ブログを書くことにしました。定常更新すらままならない可能性が高いですが、ブログを通じて色々な方と交流したいと思っています。

 

こんな不甲斐ない自分ですが、以後どうぞよろしくお願い致します。

 


八本木