八本木悠木の末路

八本木といいます。会社員ですが、退職・転職を考えています。よろしくお願いします。

転職を考えたら、ふと学生時代の就職活動を思い出して書いてみました

こんばんは、八本木です。

 

今夜もまた会社を辞めることを考えていたら、ふと自分が就活していた頃を思い出しました。

 

もう十年近く前になるのでうろ覚えですが、どちらかというといわゆる意識高い系学生というやつだったと思います。口にこそ出さなかったものの、外資金融とか外資コンサルとかエントリーしてました。

 

もちろんまともな志望理由があるならいいんですが、給料良さそう、頭が良さそう、モテそう、成長できそう等々就活メディアに踊らされた脳味噌単細胞な理由しか浮かびませんでした。

 

うん、痛い。

 

いま思い返すとなんですが、お給料は友人に見劣りしなければ、、、ぐらいで案外どうでもよくて、一番の志望理由はオフィスの場所だったかもしれません。田舎者だったので、都心で働きたかったんです。それで、外資系なら転勤はないし、オフィスもいいとこにあるだろうと思ってた。

 

その発想は正しいかもしれませんが、志望理由の浅さがヤバイですね。

今も痛い大人ですが、当時も痛い学生でした。

 

それで結局なんですが、めんどくさがりの性格が災いしてWebエントリーしたはいいものの、エントリーシートを書いた数はそんなに多くなかったと思います。完璧主義な性格もあって、筆も遅かった。外銀なんて、金融知識がないことを自分で分かっていたので、結局一社もES出しませんでしたね。外コンは途中のグループディスカッションなんかで自分が受かるに足りる脳味噌を持ちあわせていない事実に気づかされました。

 

とまぁそんな浅はかななんちゃって意識高い系でもそこそこの学歴と量より質を取ったESのおかげで、書類はほとんど通ったと思います。最終面接で複数社から落とされたときは泣きそうになりましたが、なんとか志望企業の一社から内定をもらえ、無事に都心で働く夢が叶いました。しかもそこには外コン出身の中途入社の社員も大勢いました。有難いことです。

 

そうして夢と希望に溢れた僕は、20代を懸命に働いたわけです。特に最初の二、三年年はがむしゃらでした。まぁ具体的な将来設計はなかったんですが、優秀な仲間と働くうちに見つかるだろうと思ってました(志望希望に入社できたおかげで、その当時の夢・憧れは叶ってしまっていた僕は新たな夢を見つける必要がありました)

 

けれどそんな甘い考えのもと、20代はあっという間に過ぎていき、僕はいつの間にか出世競争において、同期の中でもずいぶんと後列にいました。きっといくつかのターニングポイントはあったのでしょうが、鈍感な僕はそれに気づくことなく20代のうたかたの日々を大切にすることができませんでした。

 

自分では頑張ってたつもりなんですが、きっと頑張りが足りなかったのでしょう。もしくは自分がただ優秀じゃなかったんだと思います。それは単に業務のアウトプットスキルだけでなく、社内政治など現実で活きるスキルも含めて。なにせ内気でひねくれている性格のせいで、周囲に媚びるということができませんでした。

 

でも後悔はしてません(少なくとも今日時点では)

三年五年と過ぎて、三十路が見えた頃から、職場で取り繕ろうことに疲れました。

無理をしても意味がないって思ったんです。

今は極力自分らしくありたいと考えてます。

 

とまぁそんな感じで20代が終わって、ヒラ社員のままに30代に突入してます。役職が変わらないから飽きたのかもしれません。フラットな会社組織のおかげで、上に立った時の景色が想像できてしてしまったというのもあります。会社に罪はなく、原因は新たなやりがいを見つけられない自分にあるので、文句は言えません。

 

出世が勝ち負けの基準になるのなら、それでも構いません。

負け組で大いに結構。

そう声を大にして言いたいですが、さすがに先に出世している同期にはとても恥ずかしくて言えませんねw

出世如何が人生を左右するだなんて、僕自身は露にも思っていませんが、そう考える人も少なからずいるでしょうし、そんな人からするとまさに負け組の遠吠えになってしまう。人は人、自分は自分と割り切れればよいのでしょうが、そんな器用なことができていたら今のような状況にはなっていないとも思います。

不器用なんです、自分。

 

なんだか昔を懐かしんでとりとめもなくズラズラと書いてしまったんですが、要は何が言いたいかっていうと、貴重な20代を大切にしたいねってことと、だけれど、自分らしさも失わずに後悔しない人生を歩みたいねってことです。学生時代のかつての自分と、いま転職を考えている現在の自分、そして転職後の未来の自分に言いたいです。